2008年12月3日水曜日

初仕事

 初仕事だった。大学院でのティーチングアシスタントやリサーチアシスタントを除いて、自分の手でお金を稼ぐのは、本当に生まれて初めてだ。といっても、宿からアパートに移ったり、ソーシャルセキュリティーナンバーを申請に行ったり、文献探しをしたりしただけだ。

 朝8時半ごろ研究室へ行く。まだ誰も来ていないし、鍵も貰っていないので入れない。15分ほど時間を潰してから教授室へ挨拶に行くと、秘書室や事務室へ案内してくれる。事務室のポスドク係に明日の予約を取ってから、アパートの鍵を貰いにいく。それから引っ越し。といってもスーツケース2個を300m位引きずっただけだ。

 昼食をとってから、ソーシャルセキュリティー事務所に行く。自転車で出発したが、途中で道に迷いそうになったので、アムトラックの駅からバスに乗る。事務所に着くと、パスポート、ビザ、オファーレター以外にDS-2019が必要だといわれる。途方にくれていると、タクシーがやってきたので、アパートまで往復してもらう。手続き後、大学へ戻り、中央図書館へ。論文の追加資料が欲しいのだがどこが持っているのかはっきりしない。2人の司書に相談し、遠隔書庫にあることが判明する。まだオンライン請求用のIDを貰っていないので特別に便宜を図ってもらう。

 雑貨屋でとりあえず必要なものを買って、8:30ごろ帰宅。

2008年12月2日火曜日

初雪

 午前1時に目が覚めた。テレビで映画を見たり、書類をいじってから、5時ごろ散歩に出た。辺りは新雪に覆われていた。キャンパスは静まり返っている。アパートと研究棟を偵察し、通勤距離がわずか300mであることに満足する。宿に戻って朝食を取ってからうとうとする。

 午前11時頃、ボスからの電話で起こされる。こちらから掛けるはずだったが寝過してしまった。カフェで昼食を御馳走になってから、研究室へ。実験室見学と席決めの後、仕事をもらう。僕の研究はここでも有機合成から始まるらしい。日曜日なのに、学生が一人来ている。

 研究室を出た足で買い物に行く。必需品のキャップと手袋、日本で捨ててきたリュックサックや普段着など。夕食を取ってから、部屋で自転車を組み立てる。タイヤの空気を抜かずにチェックインしてしまったのだが、破裂していない。

2008年12月1日月曜日

片道航空券

 朝7時に夜行バスで新宿に到着した。研究室の片付けが長引いたので、H山に会う時間がなくなってしまった。約束をドタキャンしてしまったこと、今度いつ会えるか分からないこと、最近考え方の違いが問題化していることから、大変心残りである。実家に直行して、保険証を受け取ったり、転入届の委任状を書いたりする。

 家族の車で成田空港へ。事前に送っておいた預入手荷物の数と大きさにあきれられる。32kgのスーツケース2個と、分解した自転車1台である。ノースウエスト航空のウェッブページと電話案内によると、無料預入手荷物は23kg以下2個だが、32kg以下2個までは1個当たり50ドル、自転車は手荷物の数にかわらず150ドルの超過料金で済むと聞いていた。しかしチェックインカウンターに行って見ると、3個チェックインする場合、23kg超えの荷物の一つは3個目として計算されるので、超過重量9kgではなく全重量32kgに対して超過料金がかかるそうだ。困った顔をしていると、2つ目のスーツケースの重量が23kgだったことにしてくれた。ちなみに、自宅から空港までの輸送には空港ゆうパックを使った。普通のゆうパックと違ってサイズや重量に制限がないが、普通のゆうパックと同じ日数で届く。但しあまり使われないらしく、小さな郵便局から発送したら手続き方法の問い合わせに30分くらい時間がかかっていた。

 文庫+新書150冊読破まであと3冊なので、新書3冊を持って搭乗したが、丸山真男「日本の思想」が寝不足の状態で2‐3時間で読める本ではないことを知る。乗り継ぎのデトロイト空港にて、引越で出てきた中国元、台湾ドル、シンガポールドル、タイバーツ及びエジプトポンドを両替する。30人乗りくらいのプロペラ機(SF-340)でイリノイ州シャンペーンへ。

 6時前なのに真っ暗である。思ったほど寒くはない。大学院生が迎えに来てくれる。荷物を受け取り、彼の車に辛うじて積み込んで宿へ。南京出身ですでに結婚している。夕食に誘ってくれたが、土曜日の夜を潰すのは申し訳ないと言って辞退した。15分程度で学生会館に到着し、宿泊施設にチェックインした。

2008年11月13日木曜日

手術1回で肩鎖関節完全脱臼を治す方法

 10月の初め、自転車で転倒し、肩鎖関節を完全脱臼した。「肩鎖関節」は肩甲骨と鎖骨が3本の腱でつなぎあわされた部分で、肩や肘関節のように骨同士が擦りあわされているわけではない。その完全脱臼とは、3本の腱が切れた状態を表す。

 肩鎖関節が完全脱臼しても治療しない場合が多いそうだ。肩の運動には激しいスポーツをしない限り支障がはないし、力士や柔道家の中にも治療しない人がいるという。しかし鎖骨が1-2 cm上に突き出た状態になり、外見上のハンディキャップを負うことになる。しかも、肩甲骨は鎖骨を介してしか背骨(胸骨)とつながっていないため、体から筋肉を取り除くと腕が取れてしまう状態になるという。年をとって筋肉が衰えると後遺症が出そうだ。そこで僕は、治療を受けることにした。

 僕が救急車で運ばれた某大学付属病院とセカンドオピニオンを求めに行った某大学付属病院では、治療に2‐3か月かかると言われた。2回手術が必要で、まず鎖骨と肩甲骨の間を金属板で留め、切れた靭帯を縫い合わせる。6週間後、靭帯が修復された後に、再び手術を行ってプレートを取り除く。しかし僕は、仕事の都合上、1か月以内に軽作業が出来る状態になっていなければならない。これでは、間に合わない。そこで、1回の手術で済む治療法を探した。

 インターネットで調べてみると、肩鎖関節の治療法には様々あり、どれが最善の治療法なのか、統一見解がないという。問題は、靭帯が十分な強度に回復するまでの間、鎖骨を肩鎖関節へ固定する方法のようだ。放っておくと鎖骨が1-2cm上へ飛び出るほど強く、靭帯は引っ張られる。回復が十分でないと、靭帯は再び千切れたり、伸びたりする(亜脱臼)。しかし、固定に金属プレートやワイヤ(Phemister変法)を使うと靭帯の回復後再手術が必要となる。1回の手術で済む方法としては、腱(長掌筋腱)や人工靭帯で補強する方法があるそうだ。

 地元の整形外科専門クリニックに紹介していただいた病院で、望み通りの手術を受けることができた。人工靭帯を2本移植し、同時に切れた3本のうち2本の靭帯(烏口鎖骨靱帯)を縫い合わせる。手術後1週間は肩を完全固定、3週間は腕の運動範囲は90°以下に制限され、靭帯回復には3-4か月を要するが、3週間で日常の生活(と化学実験)に支障のない程度の腕の運動ができるようになり、再手術はない。人工靭帯は骨に貫通させるため、骨がくびれてくることはなく、穴の大きさは術後10年間の経過観察でほとんど変わりがないという。ただし今後は、チタンボタンが体に埋め込まれていることの証明書を携帯しないと、飛行機に乗れなくなるかもしれないし、MRI検査を受けられなくなるかもしれない。

 ちなみに手術時期は早ければ早いほど良く、脱臼後1カ月以上経つと、切れた靭帯をつなぎ合わせることができなくなるそうだ。実は僕も、5年以上前にウエイトトレーニングで同じ場所を故障したので、2本の内1本が修復不可能になっている可能性があった。その場合は、2本人工靭帯を移植する代わりに、人工靭帯1本(と1本修復)と腱の移植を行う計画であった。また内視鏡のようなものを使って手術を行うことで、術後の回復を早める関節鏡手術という技術があるようだが、肩鎖関節脱臼の治療例は僕の調べた限り未だ十分な数がないようだ。

2008年11月4日火曜日

話題の保湿成分

 最近、化粧品で話題の、保湿成分「水溶性プロテオ・グルカン」とはどのような物質だろうか?また、「ヒアルロン酸」よりも保湿能力が高いと言われているそうだが本当だろうか?以下は、あるエステシャンへの回答である。


 ネットで調べた限り、ここでいう「水溶性プロテオ・グルカン」は、ヒアルロン酸とタンパク質が結合した物質だと思います。ヒアルロン酸は、澱粉に似た構造の物質なので、水に溶かすと糊のようになります。このヒアルロン酸にタンパク質を結合させると、ヒアルロン酸由来の部分で水含みつつ、タンパク質の部分が強い骨格構造を作るので、「丈夫なプリン」(笑)のような物質を作ることがが出来ると思われます。おそらく、糊状の物質よりもプリンのような物質の方が保湿力が高いのではないでしょうか?この「丈夫なプリン」は、肌のコラーゲンの間に詰まっていて、保湿などの役割を果たしているそうです。 化粧品に入っている「水溶性プロテオ・グルカン」が、肌に含まれる「水溶性プロテオ・グルカン」と同じように、ちゃんと「丈夫なプリン」のような状態になっているのか、また「丈夫なプリン」を肌の上から塗った場合にどの程度保湿効果が得られるのかは、僕には分かりません。

2008年10月26日日曜日

ミラノ1時間+半日間の旅

 先月トリノの学会へ参加した際、ミラノを観光した。旅費を節約するために、大阪からミラノまでの航空券を買い、ミラノ‐トリノ間は列車で移動した。乗り継ぎの際に往路1時間、復路半日間ミラノで過ごすことが出来た。


往路


 早朝にマルペンサ空港へ到着した。預けた荷物の回収に1時間位かかる。電車の乗車券を買おうとすると、ミラノ中央駅へは行かないという。仕方がないので、シャトルバスへ乗る。通勤ラッシュに巻き込まれたためか、80分くらいかかった。後で分かったことだが、カドルナという駅に着くので、中央駅に行くには地下鉄へ乗り換えなくてはならないそうだ。


 駅にスーツケースを預け終えた頃には、11時を過ぎていた。12:15分のトリノ行きへ乗らなくてはならなかったが、意を決してドォーモ寺院へ向う。地下鉄で15分程度、地上へ出ると石畳の広場だった。カフェに座って、アコーディオンを聞きながら半日位眺めていたかったが、前方にそびえる王冠のような建物に直行した。目的は屋根である。中に入ると、屋根へは行けないと言われたので、工事中のガレリアを横目で見ながら裏に回る。セキュリティーゲートを通ってから、らせん階段を5階位の高さまでひたすら上り、軒先を5分程度歩くと、"Lonely Plant Italy"の表紙と同じ光景が目に飛び込んできた。棟に腰かけて、呼吸を整え、イタリアに来たことを実感してから、エレベータで降りて、地下鉄に飛び乗る。中央駅でスーツケースを回収し、正しいプラットフォームにたどり着いたのは、12:12であった。


復路


 学会最終日、14:05の列車でトリノ北駅を発つ。15:45にミラノ中央駅へ到着。予約したホテルは「駅前」のはずだが、新宿駅くらいあるため、見つからない。ホテルへ電話し、近くの警官に直接話してもらって、案内を請うたが、その警官が出鱈目なことを言う。結局、駅の周りを3/4周する羽目になった。部屋で一息つくとすでに17:30を過ぎていたので、タクシーでサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かう。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」鑑賞ツアーを18:15に予約しておいたのだ。しかし、急ぎすぎて30分近く前についてしまう。


 「最後の晩餐」の鑑賞は、完全予約制である。僕は、1か月ほど前に予約を試みたが既に満員だったので、予約代行業者に団体予約を依頼したが満員だったので、ガイド付きの鑑賞ツアーに申し込んだ。30分のツアーだが、絵の前に立てるのは15分間である。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の建物は、改修工事によって、ゴシック様式とルネッサンス様式が入り混じっている。内装至っては前半分と後ろ半分がまったく異なる。「最後の晩餐」自体も、通常壁画に使われるフレスコという漆喰に顔料を混ぜる技法ではなく、テンペラという卵の黄身で作った水彩絵の具を用いて描かれている。しかも、「最後の晩餐」が描かれている部屋は、元来修道院の食堂であった。そのため、数年で劣化が始まり、後世の修復家達のによって原形を留めないまでに「修復」された。原画が失われた後は、壁画の一部を切り抜いて食堂と厨房の間の通路が作られ、食堂はやがて馬小屋として使われ、第2次世界大戦の空襲によって半壊して、2年間(?)露天にさらされた。しかし、ピニン・ブランビッラという修復家が20年以上かけて汚れや後世の加筆を取り除き、レオナルド・ダ・ヴィンチの原画が復元された。まとめると、「最後の晩餐」は滅茶苦茶な建物に、滅茶苦茶な技法で描かれ、滅茶苦茶な扱いを受けてきた。現在は、クリーンルームのような環境で保存されている。入口は2重扉で、第1の扉が閉まるとエアーシャワー出て見学者から粉塵を取り除く。第2の扉は、前のグループが出て行くまで開かない。「最後の晩餐」は、今にも消え入りそうであった。フレスコ技法で描かれともに戦火をかいくぐったジョバンニ・ドナート・ディ・モントルファーノの『キリストの磔刑』(1495)と比較すると耐久性の違いが歴然としている。僕には普通の絵に見えたが、キリストと12使徒をそれぞれ個性をもった「普通の人間」として描いたことは、画期的なことであった。


 ツアーの後、丁度ミサが始まったところだったので、一番後ろに座った。参加者に、世界遺産で神に祈るといった気負いは感じられず、仕事の合間にちょっと町医者へ来たといった雰囲気である。説教を聞き、聖歌を歌い、昆虫網のようなものに小銭を放り込み、聖体を受けると、話が終わらない内に帰って行った。


 タクシーでナヴィリオ運河へ向かう。今ミラノで最も話題の場所らしい。"Lonely Planet Italy"にコラムが載っていたEl Brellinで晩御飯を食べる。旅行者用定食があり、廉価に名物料理が食べられた。アイスクリームを片手に運河沿いを散歩してから、丁度やってきた中央駅行きの路面電車に飛び乗り、熟睡する。


 部屋でシャワーを浴びようとすると、お湯が出なかった。フロントと掛け合うと、満室だという。仕方がないので、一番近い宿へで移動した。料金が安くなったことが不幸中の幸いであった。

2008年10月25日土曜日

ライアン・エアーは安いか?

 もう1か月以上前になるが、トリノの学会に参加した際、ライアン・エアーを利用した。学会終了後、ドイツの研究所を訪問するためにミラノフランクフルト間を往復したのだ。朝日に照らされたアルプス山脈は美しかった。

 ライアン・エアーはイギリスの格安航空会社だ。どのぐらい安いかというと、フランクフルト→ミラノ片道は預ける荷物がなければ、燃料費込で35ユーロ(運賃0ユーロ)であった。素晴らしい価格だが、いざ利用してみると、いくつかの落とし穴にはまったので報告する。

発着時刻

 少なくともミラノ‐フランクフルト間は早朝・深夜しかなかった。僕は早朝便(7・8時代)を利用したが、非人間的な時間に宿を出るか、ライアン・エアーが経営するホテルに泊まり、空港で朝食をとる羽目になった。

場所

 ミラノのオリオ・アル・セリオ空港は、格安航空会社専用で、普通の国際便(笑)が発着するマルペンサ空港へ直行する公共交通手段がないため、両空港間の移動には2時間半程度かかった。但し、市街地からの距離は両空港ともシャトルバスで1時間程度である。フランクフルトのハーン空港は、ライアン・エアー専用で、フランクフルト国際空港が市街地から地下鉄で15分なのに対し、1時間に1本程度のシャトルバスで1時間程度かかる。

手荷物重量制限

 預入荷物が有料(10ユーロ)なのは仕方がないかもしれないが、重量制限が日本‐ヨーロッパ間のエコノミーより5kg少ない15kgである。重量超過分は、1kgごとに15ユーロとられる。僕は、ミラノのホテルへトランクを預けようとしたが、拒否された。ミラノ中央駅と空港の荷物預かり所も当たったがまだ空いておらず、やむなく超過料金を支払ってフランクフルトまで持っていった。

サービス

 僕は気にならなかったが、座席指定がないので、良い席に座りたければ搭乗ゲートで並ばなくてはならない。また、機内食は飲み物も含めて有料である。さらに、離陸までラジオのCMのようなものが機内に放送される。

 以上から移動にある程度の快適さを求めると、シャトルバスやホテル、朝食なども含めた最終的にライアン・エアーに対して支払う金額は、ルフトハンザなどと大して変わらないだろう。それどころか、早起きや空港までの移動時間と労力が高く評価されるような、目的や身分の旅行者にとっては、割高になるのではないか?ライアン・エアーは、機内持ち込みサイズのバックパック1つしか持たず、空港のベンチで夜を明かすこともいとわないような旅行者に限って、利用価値があるのかもしれない。