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2008年12月31日水曜日

自動車教習 兼 シカゴ観光 第4日目

 午前6時にチェックアウトして、地下鉄で教習所へ。最後の練習を3時間する。途中で、受験生2人を拾って試験所へ。初めて教官以外の人を乗せて運転したので、緊張する。1人なぜか途中で降りる。はじめ、シカゴ北試験所へ行ったが、非常に混んでいたため、シカゴ西試験場へ。受験生が100人位待っていて、2時間半待ちだといわれたが、筆記試験をすでに受けているため、手続きと支払いに30分程度、試験コースを走ってから車列に並び30分程度待った。直前まで教官が同乗し、話し相手になってくれる。

 教官はメキシコ移民2世だそうで、差別に話題を持って行くと突然饒舌になる。ループの連邦政府機関周辺を歩いていると、疑いの目で見られるとか、カーディーラーに行っても自分から尋ねない限り説明をしてもらえないとか(教習車は2009年のトヨタカローラだった)。試験所にも人種差別をする白人がいて、英語能力が低いほど差別がひどくなるという。友人(2世)が手続きをした際、移民だと決めつけられ、アメリカ人だと分かると今度は本来必要のない書類の提示を求められたとか、英語がしゃべれない受験生の前で「こいつらここで何やってんだ」と言ったとか。アメリカのメキシコ系人コミュニティーは非常に大きいので、日常生活は全てスペイン語で出来るそうだ。そのために、英語教育をあまり重視しないらしい。教官自身、小学校教育をスペイン語の教科書で受けたため、英語に訛りがあり、劣等感を感じることがあるという。僕自身のイギリス短期留学経験と比較しても、ここでは言い間違えたときに受けるストレスが少ない。そのため、お金を払って学ぶか、自分で努力しない限り、何年住んでも英語は上達しないだろうと思う。

 試験官は黒人女性だった。第1印象は0.3秒で決まるそうだが、彼女が僕を始めてみた瞬間、鏡に向かって鼻をいじっていたのがいけなかったらしい。高圧的な態度で、最後(駐車試験)には「早くしろ。あなたはとても不快だから私は降りたいんだ。」と怒鳴る始末だった。左折で左右を確認しなかった、停止標識で完全に停止しなかった、後進L字ターン中に反対車線に車が入って来たとき停止しなかった、制限速度を5マイル時以上オーバーしたなどで減点された。最後に駐車場で曲がる際ウインカーを出さなかったため、「あなたは本来免許を取るべきじゃないが、今日持って帰りなさい」と言われる。有難うと言うと、「今、有難うと言うべきだと言おうとした」と返ってくる。おかげで、証明写真はとてもひどい顔に写ってしまった。

 もう一人が受験中に帰りのバスの出発時間を過ぎる。インドからの移民で、車通勤しているらしいのだが、落ちてしまう。免許取得直後に運転すると危ないからと帰りは、教官が運転。携帯を借りて、シャンペーンへのシャトルバスの予約を試みるが冬期休暇中。ブルーラインの駅で降ろしてもらう。ジャクソンで乗り換えて、5時半頃ユニオンステーションへ。8時にシャンペーン行きがあったが、満席。立席乗車券というものはないらしい。ネットでオヘア空港からのシャトルバスの情報を入手しておいたが、3社中1社はすでに出発、1社はファックスのみで予約受付、残りの1社に電話をかけてみるが、シャンペーン行きはもうやっていないという。グレイハウンドターミナルまであるき、チケットを返金してもらう。試しに聞いてみるが、既に便がない。結局、昨日まで泊っていたホステルのドミトリーに泊まる。宿で、一番早いアムトラックを予約する。

2008年12月30日火曜日

自動車教習 兼 シカゴ観光 第3日目

 朝4時半、ロビーに出て窓際のテーブルを陣取る。ソファーに寝転んでラップトップを操っている人が二人。5時ごろに引き上げて行く。5時半頃日本人と思しき女の子がチェックアウトする。30分ソファに座っていたが、6時頃迎えにきたタクシーにスーツケースを積んで出て行く。

 8時にホステルを出発し、教習所へ。今日も駅前の駐車場で待っていてくれる。フリーウェイに入る。試験所が休みなので、会場で練習するのだそうだ。40分くらい走って会場へ到着。模擬試験でウインカーとワイパー、アクセルとブレーキを間違える。実際の試験コースを走って、坂道駐車や後進L字カーブ、車庫入れの練習を繰り返す。余計なことを言わず、試験官の指図どおりに動けと忠告される。ループを走ってから帰る。

 午後、レッドラインのモンローで降りて、ホットドックを買ってから、ピンクラインでシアーズタワー前へ。観光バスに乗り混む。幸か不幸か、二階建てバスの2階に座る。非常に寒い。ガイドのおばさんが代役で、手袋をしていないので貸してあげる。自然史博物館前で下車。進化のセクションを2時間とアメリカ先住民の歴史のセクションを30分かけて観た。無料送迎バスと地下鉄を乗り継いで宿へ帰る。

2008年12月29日月曜日

自動車教習 兼 シカゴ観光 第2日目

  朝8時、ホステルを出る。昨日と打って変わって、寒い。アーバナ・シャンペーンよりも寒い。駅に向かって歩いていくと、路地の突き当たりにミシガン湖が見えた。地下鉄で教習所へ。駅前でインストラクターが待っていてくれる。昨日のおさらいをしてから、住宅地に入りひたすら、路肩寄せと後進L字カーブの練習をする。最後に市街地を走って終わり。車線の真ん中を一定速度で走れと注意された。

 12時半、観光するつもりでいたのだが、ガイドブックをホステルに忘れて来たことに気づく。レッド・ラインで一番大きそうなジャクソンという駅で降りる。観光案内所はなかったので、駅員に地図を貰う。親切な方たちで、お勧めのクラブハウスを教えてもらったりする。地図を頼りに、都市の中心部(その名もループ)を囲む高架の外側を反対向きに歩いてみることにする。ジャクソンから北へ歩いて行くとミシガン湖へ出た。人口の入り江で、西側の波止場近くに流氷が溜まっている。はるか東の湖岸にプラネタリウムが見える。流氷のところまで西に歩いてから、南へ戻ると、ミレニアム・パークが見えてくる。野外コンサートホールを中心とした一種のアミューズメントパークだ。これを抜けると、観光案内所が入っているシカゴ文化センターの前へ出る。よく見かけたトローリー風観光バスの乗り場を教えてもらい、路線バスでコーミック・トリビューン・フリーダム・ミュージーアムまで行く。スタッフに全ての巡回観光スポットが開いてるか聞いてみると、日曜日なので閉館が早い。その代わり、チケットを2日間有効にするという答えが返ってくる。シカゴ川北部を周回し、シアーズタワー前で下車する。迷ったが登らずに地下鉄へ。

 15時、スーパーマーケットの前で途中下車し、食料を調達、渡米初のヘアカットをしてから宿へ戻る。

2008年12月28日日曜日

自動車教習 兼 シカゴ観光 第1日目

 朝6時過ぎに部屋を出て、イリノイ・ターミナルへ向かう。渡米以来最も暖かい日だ。ネットで買ったチケットを回収し、バスへ乗り込む。約2時間半でグレイハウンドターミナルに到着。シカゴに来たのは生まれて初めてだ。ユニオンステーションまで歩き、地下鉄・バスの乗継割引カード(Transit Card)を買う。通常距離に無関係に2ドルだが、2時間以内に乗り継ぐと1回目が25セント、2回目無料になる。地下鉄からバスに乗り継ぐ場合も適用される。ちなみに、初乗りも1.75ドルになる(Transit Cardもバスは$1.75)シカゴカードというのもあって、ホームページにはユニオンステーションで両方購入可能と書かれているのだが、実際に購入可能なのは乗継割引カードだけだった。シカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)まで歩く。時間が無いので、絵画のフロア(3階)へエレベーターで上り、奥に向かって歩いて行くと、Georges Seuratの"A Sunday on La Grande Jatte"が目に飛び込んでくる。それ以降も、『名画を見る眼』で紹介されているゴッホやHenri de Toulouse-Lautrecの実物を鑑賞することが出来た。

 11時、地下鉄に乗って教習所へ。間違ったバスに乗り換えてしまい、4ブロック歩く。30分遅刻したが、許してくれる。5分程度、エンジンの掛け方やレバー操作の説明を受けてから、10分ほど実演を見て、実習開始。住宅地と市街地で右折・左折の練習を3時間行った。危なくなると、助手席に座った教官が、ブレーキを踏んだり、ハンドルを取ったりして助けてくれる。途中、オバマ次期大統領の自宅前を通過、隣りのモスクとの間にパトカーが3台位泊っている。現在、ハワイで休養中なので、警備が手薄なのだという。

 15時半、再びシカゴ美術館へ。入館券は同日であれば何回でも入場可能である。1, 2階をざっと見た。


 17時、地下鉄でホステルへ。予約確認に時間がかかる。ホステルワールドで見つけたのだが、初日はシングルが開いてなかったので、続く2日のみオンライン予約。初日は電話予約したのがいけなかったらしい。シングルルームを予約したのだが、ベッド以外何もない部屋だったので、不満の顔をしていると、ドミトリーへの変更を勧めてくれた。しかし、部屋を変更すると、マネージャーに差額を返金できないと言われたという。結局、シングルに泊まることにした。

2008年10月26日日曜日

ミラノ1時間+半日間の旅

 先月トリノの学会へ参加した際、ミラノを観光した。旅費を節約するために、大阪からミラノまでの航空券を買い、ミラノ‐トリノ間は列車で移動した。乗り継ぎの際に往路1時間、復路半日間ミラノで過ごすことが出来た。


往路


 早朝にマルペンサ空港へ到着した。預けた荷物の回収に1時間位かかる。電車の乗車券を買おうとすると、ミラノ中央駅へは行かないという。仕方がないので、シャトルバスへ乗る。通勤ラッシュに巻き込まれたためか、80分くらいかかった。後で分かったことだが、カドルナという駅に着くので、中央駅に行くには地下鉄へ乗り換えなくてはならないそうだ。


 駅にスーツケースを預け終えた頃には、11時を過ぎていた。12:15分のトリノ行きへ乗らなくてはならなかったが、意を決してドォーモ寺院へ向う。地下鉄で15分程度、地上へ出ると石畳の広場だった。カフェに座って、アコーディオンを聞きながら半日位眺めていたかったが、前方にそびえる王冠のような建物に直行した。目的は屋根である。中に入ると、屋根へは行けないと言われたので、工事中のガレリアを横目で見ながら裏に回る。セキュリティーゲートを通ってから、らせん階段を5階位の高さまでひたすら上り、軒先を5分程度歩くと、"Lonely Plant Italy"の表紙と同じ光景が目に飛び込んできた。棟に腰かけて、呼吸を整え、イタリアに来たことを実感してから、エレベータで降りて、地下鉄に飛び乗る。中央駅でスーツケースを回収し、正しいプラットフォームにたどり着いたのは、12:12であった。


復路


 学会最終日、14:05の列車でトリノ北駅を発つ。15:45にミラノ中央駅へ到着。予約したホテルは「駅前」のはずだが、新宿駅くらいあるため、見つからない。ホテルへ電話し、近くの警官に直接話してもらって、案内を請うたが、その警官が出鱈目なことを言う。結局、駅の周りを3/4周する羽目になった。部屋で一息つくとすでに17:30を過ぎていたので、タクシーでサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かう。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」鑑賞ツアーを18:15に予約しておいたのだ。しかし、急ぎすぎて30分近く前についてしまう。


 「最後の晩餐」の鑑賞は、完全予約制である。僕は、1か月ほど前に予約を試みたが既に満員だったので、予約代行業者に団体予約を依頼したが満員だったので、ガイド付きの鑑賞ツアーに申し込んだ。30分のツアーだが、絵の前に立てるのは15分間である。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の建物は、改修工事によって、ゴシック様式とルネッサンス様式が入り混じっている。内装至っては前半分と後ろ半分がまったく異なる。「最後の晩餐」自体も、通常壁画に使われるフレスコという漆喰に顔料を混ぜる技法ではなく、テンペラという卵の黄身で作った水彩絵の具を用いて描かれている。しかも、「最後の晩餐」が描かれている部屋は、元来修道院の食堂であった。そのため、数年で劣化が始まり、後世の修復家達のによって原形を留めないまでに「修復」された。原画が失われた後は、壁画の一部を切り抜いて食堂と厨房の間の通路が作られ、食堂はやがて馬小屋として使われ、第2次世界大戦の空襲によって半壊して、2年間(?)露天にさらされた。しかし、ピニン・ブランビッラという修復家が20年以上かけて汚れや後世の加筆を取り除き、レオナルド・ダ・ヴィンチの原画が復元された。まとめると、「最後の晩餐」は滅茶苦茶な建物に、滅茶苦茶な技法で描かれ、滅茶苦茶な扱いを受けてきた。現在は、クリーンルームのような環境で保存されている。入口は2重扉で、第1の扉が閉まるとエアーシャワー出て見学者から粉塵を取り除く。第2の扉は、前のグループが出て行くまで開かない。「最後の晩餐」は、今にも消え入りそうであった。フレスコ技法で描かれともに戦火をかいくぐったジョバンニ・ドナート・ディ・モントルファーノの『キリストの磔刑』(1495)と比較すると耐久性の違いが歴然としている。僕には普通の絵に見えたが、キリストと12使徒をそれぞれ個性をもった「普通の人間」として描いたことは、画期的なことであった。


 ツアーの後、丁度ミサが始まったところだったので、一番後ろに座った。参加者に、世界遺産で神に祈るといった気負いは感じられず、仕事の合間にちょっと町医者へ来たといった雰囲気である。説教を聞き、聖歌を歌い、昆虫網のようなものに小銭を放り込み、聖体を受けると、話が終わらない内に帰って行った。


 タクシーでナヴィリオ運河へ向かう。今ミラノで最も話題の場所らしい。"Lonely Planet Italy"にコラムが載っていたEl Brellinで晩御飯を食べる。旅行者用定食があり、廉価に名物料理が食べられた。アイスクリームを片手に運河沿いを散歩してから、丁度やってきた中央駅行きの路面電車に飛び乗り、熟睡する。


 部屋でシャワーを浴びようとすると、お湯が出なかった。フロントと掛け合うと、満室だという。仕方がないので、一番近い宿へで移動した。料金が安くなったことが不幸中の幸いであった。

2008年10月25日土曜日

ライアン・エアーは安いか?

 もう1か月以上前になるが、トリノの学会に参加した際、ライアン・エアーを利用した。学会終了後、ドイツの研究所を訪問するためにミラノフランクフルト間を往復したのだ。朝日に照らされたアルプス山脈は美しかった。

 ライアン・エアーはイギリスの格安航空会社だ。どのぐらい安いかというと、フランクフルト→ミラノ片道は預ける荷物がなければ、燃料費込で35ユーロ(運賃0ユーロ)であった。素晴らしい価格だが、いざ利用してみると、いくつかの落とし穴にはまったので報告する。

発着時刻

 少なくともミラノ‐フランクフルト間は早朝・深夜しかなかった。僕は早朝便(7・8時代)を利用したが、非人間的な時間に宿を出るか、ライアン・エアーが経営するホテルに泊まり、空港で朝食をとる羽目になった。

場所

 ミラノのオリオ・アル・セリオ空港は、格安航空会社専用で、普通の国際便(笑)が発着するマルペンサ空港へ直行する公共交通手段がないため、両空港間の移動には2時間半程度かかった。但し、市街地からの距離は両空港ともシャトルバスで1時間程度である。フランクフルトのハーン空港は、ライアン・エアー専用で、フランクフルト国際空港が市街地から地下鉄で15分なのに対し、1時間に1本程度のシャトルバスで1時間程度かかる。

手荷物重量制限

 預入荷物が有料(10ユーロ)なのは仕方がないかもしれないが、重量制限が日本‐ヨーロッパ間のエコノミーより5kg少ない15kgである。重量超過分は、1kgごとに15ユーロとられる。僕は、ミラノのホテルへトランクを預けようとしたが、拒否された。ミラノ中央駅と空港の荷物預かり所も当たったがまだ空いておらず、やむなく超過料金を支払ってフランクフルトまで持っていった。

サービス

 僕は気にならなかったが、座席指定がないので、良い席に座りたければ搭乗ゲートで並ばなくてはならない。また、機内食は飲み物も含めて有料である。さらに、離陸までラジオのCMのようなものが機内に放送される。

 以上から移動にある程度の快適さを求めると、シャトルバスやホテル、朝食なども含めた最終的にライアン・エアーに対して支払う金額は、ルフトハンザなどと大して変わらないだろう。それどころか、早起きや空港までの移動時間と労力が高く評価されるような、目的や身分の旅行者にとっては、割高になるのではないか?ライアン・エアーは、機内持ち込みサイズのバックパック1つしか持たず、空港のベンチで夜を明かすこともいとわないような旅行者に限って、利用価値があるのかもしれない。

2008年8月30日土曜日

「自由の女神」へ行くべきか?


 ニューヨーク2日目、自由の女神があるリバティー島へ行った。アメリカの正面玄関に立ったように感じた。19世紀、ニューヨークはアメリカ最大の移民上陸港であった。彼らが最初に見たアメリカは、海から見たニューヨークだろう。マンハッタン島の高層ビル群があり、自由の女神もあっただろう。アメリカの顔だっただけあって、とてもカッコいい。

 自由の女神の観光というと、陳腐で気が引ける。実際、あの巨大な像を拝むだけなら、リバティー島へ行く意義は見出せなかっただろう。しかし、

○街を海から眺めること
○その眺めの歴史的背景を知ること

は、ニューヨーク観光で第1に薦めたい。確かに、クルージングはいろいろな会社がやっているし、アメリカ移民の歴史は本を読めば分かるので、わざわざ1時間並んでチケットを買い、さらに1時間並んでフェリーに乗ってまでリバティー島に上陸する必要はない(予約すればよかった)。それでも、リバティー島の芝生に寝転んで、ピザを齧り、カモメと戯れながら眺めると、マンハッタン島の街並みもまた格別である。さらに、フェリーは移民管理局があったエリス島にも立ち寄る。今は博物館になっていて、移民の歴史を知ることが出来る。だから、「自由の女神」観光をお薦めする。

備考
 平日10時頃にフェリーポートに行ったところ、2時間待ちだった。予約するか、ニュージャージー州発のフェリーを使った方がよいと思う。 お弁当と敷物を持っていくと、上のようなところで食べられる。レストランは両島にあるが、混んでいた。

 

2008年8月29日金曜日

ニューヨークに着いた夜

 学会最終日、会場を出たその足でニューヨークに向かった。アムトラックの駅(30th Street)に向かう途中、地下鉄のトークンを20ドル分買ってしまい、駅員さんに売ってもらっていたので(笑)、予定より1時間ほど遅れた。1時間半程度でペンシルバニア駅に到着。構内の公衆電話に、トークン販売で得た大量の25セント硬貨を投入し、ロンリープラネットを見ながら宿をとる。ドミトリーはどこも満室だったので、最安のシングルにした。夜8時を過ぎている。ニューヨークは治安が悪いと聞いていたので、尾行されていないか確かめ、ガイドブックをしまって街へ出る。しかし服装で、旅行者であることが一目瞭然であった。


 夜10時、宿周辺を散策するつもりで部屋を出た。ニューヨーカーにならってTシャツに半ズボン。ポケットには、$30足らずの現金とクレジットカード、デジカメのみである。ニューヨークは徒歩で周れる街であった。明るい方へ向って歩くと、タイムズスクエアに出た。土産物屋やカフェ、ブティックがまだ開いていて、通りは観光客で賑わっている。皆ぼくよりきちんとした格好をしている(笑)。タイや中国の地方都市で見るような3輪自転車が、客待ちをしている。二階建てバスの観光ツアーに飛び入り参加した。マディソンスクエア、ワシントンスクエア、SOHO、リトルイタリー、チャイナタウン、ブルックリンを100分位で周ってくれた。

 バスを降りて、宿へ向かう。人通りがない。明かりがともっているのは、雑貨屋とトルコ料理店だけだ。朝食にケバブを買う。熱い抱擁を交わしていたカップルと笑顔を交わして、宿に入る。

2008年8月28日木曜日

フィラデルフィアの安宿

 先日、フィラデルフィアで学会に出席した際、手頃(1泊1万円以下)な宿が見つからずに困った。もちろん出席者で埋まっていたのだろうが、Lonely Planet USAによると、フィラデルフィアにはそもそも安宿が少ない。少なくとも車が無しでアクセス出来る場所には、少ない。僕が探した限り、中心街(ペンシルバニア大学を含む)にあって1泊1万円以下の個室があるのは、以下の3軒だけである。

Apple Hostels


ucityhostel

International House


どこも満室だったので、現地で散々探した挙句、空港の近くに落ち着いた。

Microtel
Philadelphia Airport

 オンライン予約すると現在のレートで1万円以下であるが(笑)、飛び込みで泊まるともっと高くなる。空港から電車(SEPTA, R1)で1駅(Eastwick)、徒歩5分である。市街までは、R1で20分くらいかかる。但し、電車は30分に1本である。片道$5だが、1週間定期券もある。

 ちなみに、このホテルからは24時間、30分毎に空港へ送迎バスが無料で出ている。僕は午前7:30出発だったので、とても役に立った。