2011年1月12日水曜日

A journey in travel: my 2nd speech in Toastmasters Club

Traveling abroad was my favorite, while I was in university. I have been to Korea, China, Taiwan, Thailand, Myanmar, Philippines, India, Singapore, Australia, The United Kingdom, Ireland, France, Germany, Spain, Italy, Morocco, Egypt, Qatar and The United States Of America. I went abroad in every summer and winter holidays when I went to a university in Kyoto. And I went to that university for very long time. Why I did travel a lot? Because it was an essential part of my university life. To explain this, I start with my university town, Kyoto. First I brief the culture of Kyoto. Second, I describe the atmosphere among people in Kyoto. Finally, I explain how this affected to my university days.


Kyoto had been Japan’s capital for 10 centuries, until the modern Japanese government was established. You can safely say that Kyoto has an essence of Japanese traditional culture. You see more than 1000 shrines, 2000 temples and tea house with geisha’s. Above all, Gion festival is a traditional icon in Kyoto. It is an anniversary of an 11 century old shrine. It is one of the most famous festivals in Japan. It lasts one month every summer. It collects one million visitors. It has 180 million dollar impact on Kyoto’s economy. It starts with night markets, the best opportunity for girl hunting in Kyoto. It closes with a parade. You can imagine “Disney’s electric parade” with 30 200-year-old two-story floats. With a Japanese orchestra on it. Each dragged by 40 people.


This special event is run by a powerful local community in Kyoto. This was originally a merchant community and has 7 centuries of history. However, there has been no strong leaders in this community. A part of the reason is that they are fed by expenses of the emperor and aristocrats, in my understanding. Their bite in the fixed net expense was the main concern, I guess.


It is this community that has made the frame of Kyoto culture. It created an atmosphere among people in Kyoto. Independence is the first priority in the residence. But their independence means “not causing trouble”. You should be up to standard, and no more. On one hand, this atmosphere makes oriental gentlemen. On the other hand, it might remind you of “1984” by George Orwell. In 1984, the big brother governed the society. But it is a collective unconsciousness that governs Kyoto society. Murakami Haruki, a Japanese million dollar novelist, published his latest work the last year. The title is “1Q84”. In Japanese, the number nine has the same pronunciation as the alphabet “Q”. In my understanding, he described the relationship between the fundamental problem in Japanese culture and a cult group. Which caused the sarin attack to Tokyo subway in 1995. He called this problem “little people”, in stead of the big brother.


This little people made me travel abroad. When I was in Kyoto, I felt rigid. When I was abroad, I breathed oxygen. I acted anonymously. And I thought with my own head. Traveling abroad was my second life.


Today, I explained the significance of traveling abroad when I was in university. First, I briefed Kyoto culture and community. Second, I described the atmosphere among people in Kyoto. Finally, I explained how this atmosphere affect to my university life. Now, I work in the US. Japan is one of my travel destinations. They say life is a journey. And my journey is in travel.

2010年10月11日月曜日

カーシェアリング

 はじめて、カーシェアリングサービスを利用した。「Zipcar」である。オンラインで予約し、普通の駐車場の隅に停まっている車をICカードで解錠して勝手に使う。この田舎町でも、3カ所に停まって、そのうち1ヶ所は、僕のアパートの隣にある。1時間8ドルで、保険・ガソリン代込だ。日曜日の昼に、当日午後4時の予約が取れた。しかし、前の人の返却が遅れ、出発したのは4時20分だった。返却したのは5時15分だった。遅延ペナルティとして、50ドル課金されたが、1時間以下しか使っていないとクレームを付けたところ、返金してくれた。今回だけだそうだ。日曜日に1時間使いたければ、1時間半予約しなくてはならないようだ。

 自分の車は3日前にエンジンかからなくなくなった。AAAを呼んでジャンプスタートしてもらったがだめだったので、最寄の修理工場まで牽引してもらった。配線の不具合で、費用はそれほどかからなかった。こうしたことも含めて、僕はこの車に年間1500ドル位使っている。Zipcarとレンタカーで代用したとすると、同額くらいだろう。僕はZipcarがやって来る前に買ってしまったが、今は車がなくても損をしない。

2010年4月23日金曜日

日本からアメリカに安く引っ越す方法

 引越しについて書いておく。僕が京都からシャンペーンにやってきたのは、2008年の11月だからいまさらだが、書くと宣言してしまった。総説的なブログがあるので、体系的に書く努力は放棄する。10年近い京都生活で溜め込んだものを、大抵は捨て、一部は実家に預け、持ってきたのは約300キログラムだった。ダンボール10箱に梱包し、郵便局から船便で発送した。

 郵便を使ったのは、探した限り最も安かったからである。10個以上まとめて送ると1割引になる。さらに切手で支払うことができるので、オークションで購入すればさらに5%割引くらいになる。安いだけでなく、国際郵便は船便でも集荷してくれるので、いうなればドア・ツー・ドアのサービスである。僕はかけなかったが、保険をかけることもできる(但し、郵便局へ持っていかなくてはならない)。反面、宛先住所が決まらないと送れない。僕は、大学寮とネットで契約した。出発前に部屋番号を教えてもらうために、管理事務所と何回かメールをやり取りした。結果的に、今でもその寮に住んでいるが、たまたま研究室のとても近くにあったからだ。家賃がここより月数万円安く、広さが同じくらいのアパートは沢山ある。一般には、住所を決めるために住居の選択肢を狭めてしまうのは割りに合わないだろう。

 2ヶ月程度で、不在連絡票を受け取った。宅配ボックスはあるが、もちろん大き過ぎて入らない。10日以内(実際は2週間位)2回まで再配達してくれる。土曜日も配達してくれる。時間は指定出来ない。しかし、月曜日に土曜日の再配達を申し込んでも、実行されなかった。前日に電話しろと言う。ネット申し込みも試してみたが、指定日前に2回再配達が行われ、郵便局まで受け取りに行く羽目になった。希望日に再配達を受けるためには、不在連絡票を受け取ったらまず翌日に電話して再配達を止めてもらい、次に再配達して欲しい日の前日に再び電話して申込む、という2段攻撃が必要だと思う。

 荷物は、10個中9個のダンボール箱が破れて中身が見える状態だった。1つは、別の箱に移されて届いた。内容物のいくつかが紛失し、知らない本が数冊入っていた。内容物のリストを作らなかったので、正確には分からない。ちなみに梱包は、段ボール箱にゴミ袋を開いたビニールシートを引き、上下の口と2辺を布テープで固定してあった。損傷なく届くためには、Gショック並の強度を持った梱包が必要だと思う。段ボール箱を2重にするとか、梱包テープでミイラのようにぐるぐる巻きにするとか。

 もう一度やるなら、郵便は使わず、民間のドア・ツー・ポートのサービスを使うだろう。値段は、僕の知る限り郵便局の船便と同程度である。最寄の税関留め(この辺りはシカゴ)なので、出発前に住所を確定する必要がない。おそらくパレットに積んだ状態で運んでくれるので、郵便ほど梱包を厳重にする必要も無いだろう。今回使わなかったのは、通関手続きと、自宅までの輸送に手間とお金がかかり過ぎると思ったからだ。9年程前にイギリスからの荷物を大阪港で受け取った時は、手続きは自分でやり、輸送は赤帽を利用した。今回はまず、大阪ではなくシカゴなので、手続きを一人で出来るか不安だった。しかし、郵便で送っても受け取りに充分苦戦した。どうせずぶ濡れになるなら、雨に打たれても滝に打たれても余り変わらないだろう。次に、ネットで調べた限り、シカゴからここまで段ボール箱10個運んでもらうとかなり高くつく。しかし、荷物が届いた時点で、僕はすでにイリノイ州の免許を取得し、車を買っていた。もう少し成行きに任せた方が上手く行っただろう。

2009年9月27日日曜日

英単語20,000

 先日、アルゴン国立研究所で開かれたポスドクシンポジウムへの道中、中国人大学院生からアメリカの大学院入試の話を聞いた。中国から直接アメリカの大学院へ入ってくる人たちは、GRE(大学院のセンター試験に相当する)国語(英語)でも良い点を取るらしい。話を聞いてみると、中国にはGRE受験のための予備校があるそうだ。そこでは、英単語を2万語暗記させるという。きちんと暗記するのは5千語で、後の1万5千語は属性(動物、乗り物、食べ物など)を暗記すればよいのだそうだが、これは圧倒的な差である。もちろん他にも論述など様々な練習があるだろうが、かねてから、ボキャブラリーが不足を痛感していたので、印象に残った。

 僕も修士1回生の時、アメリカの大学院に入り直そうとして、TOEFLとGREを受験した記憶がある。国語は、激しくできなかった。僕の努力が足りなかったかもしれないが、アメリカ大学院留学のサイトを見ても、国語はまともな点数が取れないと書いてある。しかし僕が働いている研究室の外国人大学院生は、すべて中国人である。少なくとも彼らの入学当初英語レベルくらいはないと、アメリカではポスドクとしてすら生き残るのは難しそうだ。(他にも不足なものがたくさんあるかもしれないが。)

 僕は(ここに来る前iBT100点ぐらい)、NHKラジオの実践ビジネス英語をインターネットで聞き、英語の本を読むようにしている。しかし、研究室のネイティブ同士の会話には知らない単語が良く出てくるし、岩波新書レベルの本でも単語の意味を文脈から推測するために読むのが激しく遅く、知らない単語が多すぎて意味が取れないこともある。そこで、本当に2万語を目標にボキャブラリービルディングをしたい。インターネットで調べた限り、アメリカ人が使うGRE用単語帳は合わせて5千語くらいである。一方、ネットで公開されている日本人向け単語帳(JACET 8000やSVL12000など)は重複を除くと1万6千語くらいだ。これとGREの間にSATの単語帳、5千語があるとおもわれる。この3つから重複を除くと2万語くらいか?(彼らは新たに2万語覚えるのかもしれないが。)

 実際の学習は、紙の上ではなく、パソコン上で行いたい。世の中には、正答率と忘却曲線にもとづいて単語帳を管理してくれるソフトウエアや、単語帳から三択問題や書き取り、ディクテーションを出題してくれるソフトウエアがたくさんある。しかし、正答率と忘却曲線にもとづいて単語帳から三択や書き取り、ディクテーションを出題してくれるソフトウエアは、僕の知る限りP-Studyだけである。任意のテキストファイルやウェッブページから自動的に単語帳を作ることができるし、任意のPDIC辞書を使って各々の単語に自動的に意味をつけることができる。

見たことや聞いたこと、体験したことを喜々として、語るのは、恥ずかしくなってきた。京都にいたころと同じような生活になったので、平常心を取り戻したからだろう。喜々としてでなくても、自分の行動や思考の「成果」を文章化して蓄積し、公開してフィードバックを受けることで、行動や思考をより建設的、生産的なものにすることができる。研究と同じである。

2009年9月6日日曜日

ロバート・アラートン公園


 ストレスが溜まっていたので、ロバート・アラートン公園に行ってきた。新学期が始まって、人口密度が急上昇したためだろうか。学生時代は、ストレスがたまると北山や比良山系をハイキングしていたのだが、この辺りは山がない。しかし、車で半日で行けるところに、キャンパスより大きな公園がいくつかあるので、代替品にしようと考えた。ロバート・アラートン公園は大学の持ち物だ。日本語でググると、映画ジュラシックパークのロケ(ハワイ・カウアイ島)がヒットするが、同一人物だそうだ。シカゴの銀行家・実業家で、ユニオン・ストック・ヤードの創立者の息子らしい。

 朝9時、スーパー(County Market)でサンドイッチを買ってから、72号線で30分程度。時速110キロで走るのもストレス解消になる。ビジターセンターで地図をもらってから、庭園を端まで歩く。Sunken Gardenで結婚式をやっていたので、芝生を回って遊歩道に入る。1周1~4キロの遊歩道が5本整備されていて、要所要所に色分けされた標識が立っている。僕は、黄色、茶色、紫をつないで、8キロぐらいの周回路を歩いた。映画スタンドバイミーに出てくるような、森(というか林)である。京都の山と同じ匂いがする。Sagamon川沿いを端まで歩き、回り道をしてからSun Singerという銅像の前に出ると、正午だった。ロバート・アラートンがカールミルス(Carl Milles)という芸術家に、スウェーデン・ストックホルムにある銅像のミニチュアを注文したところ、巨大な新作が届いたらしい(笑)。直径100メートルくらいの円形の広場には、僕一人だった。台座に座ってサンドイッチを食べる。途中で、正面から車とバギーがやってきて少しがっかりする。芝生に寝転んでみたが、小雨が降ってきたので、森の中に逃げ込む。遊歩道をひたすら歩く、ヒルがいそうな沼があったり、The Death of the Last Centaurという銅像があったり。午前中に周った庭園に出る。結婚式をやっていたカップルがまだ写真を撮っている。部屋に着いたのは、午後2時だった。

2009年5月2日土曜日

ラムディスク

 YF氏が新しいノートパソコンを買うというので、知ったかぶりしていて、昔メモリーの有効利用法を調べたことを思い出した。ノートパソコンは、普通、4GBまでメモリーを積むことが出来る。しかし、32bitのWindowsが利用出来るのは、約3GBである。残りの約1GB(OS管理外領域)は、無駄になる。そこで、この約1GBを仮想的なディスク(ラムディスク)として利用するフリーソフト(Gavotte Ramdisk)をインストールして見た。

 僕のノートパソコン(レノボThinkPad X61, 32bit Windows XP)には以下の方法でインストール出来た。

①zip書庫をプログラムファイルを置くのに適当な場所に展開する。
②展開されたフォルダ内のram4g.regというファイルをダブルクリックする。(レジストリに情報が追加される。)
③ramdisk.exeを起動し、デフォルトの設定のまま、"Install Ramdisk"ボタンを押す。(ディスクサイズが16MBに設定されているが、実際にはOS管理外領域に収まる最大のサイズで作成される。)

 Rドライブとして959MBのラムディスク(正確には、"fixed media")が作成されていた。タスクマネージャーの利用可能な物理メモリは、ラムディスク作製の前後でほとんど変わらなかった。一度作成すると、再びramdisk.exeを立ち上げて"Remove Ramdisk"しない限り、Windowsを起動するごとに自動的に作成される。

 折角ラムディスクを作ったので、キャッシュを置いてみた。VistaにはReady BoostというUSBメモリなどをキャッシュとして利用するソフトが付いているが、XPには付いていない。そこでeBoostr 3(Laptop Edition)というソフトを購入した。ラムディスクと、手持ちの4GB microSDHC(+アダプタ)にキャッシュを構築しところ、ベンチマークソフト(HDBench)でハードディスクのアクセス速度が、読み込み20%、書き込み35%、コピー100%向上した。ちなみにeBoostrについているスピード測定を使うともっとずっと良い数字が出る。また、ハードディスクは5400rpm。

 ハードディスクは大して速くならなかったが、優先アプリケーションにOneNoteを登録すると、2回目から数秒で起動するようになった。また、パワーセーブモードを有効にすると、電源をつないでいるとき通常通りハードディスクとキャッシュ両方にアクセスするが、電源を抜くと自動的にハードディスクにアクセスしなくなる。(キャッシュの再構築もしなくなるらしい。)その結果、バッテリーの持ちが目に見えてよくなった。Windowsのスタンバイ、回復を繰り返しても、eBoostrは正常に動き続けた。但し、再起動すると、ラムディスクが登録デバイスのリストから消えてしまう。

2009年4月7日火曜日

授業

 授業に35分遅刻する。僕が聴講している唯一の授業である。大学院生向けのグラント申請の書き方を教える50分週2回の講義(正規の受講者は他にチュートリアルもあるようだ)で、ポスドクや助教、外部の研究者も出席している。学術研究の方法や倫理を扱うのではなく、現実の世界で政府系機関から資金を調達するにはどうすればよいかを赤裸々に語ってくれる。たとえば、某機関では審査員は数十名いるがその内2人しか申請書を最後まで読まない。残りの審査員は1ページの要約だけを読んで投票数するので、そこに入魂しろだとか。某機関へ申請する研究テーマは、企業向け補助金の募集テーマ一覧中から選べだとか。審査員リストに載っている研究者とその友人の論文を参考文献に入れろだとか。裏事情が公開(形式知化)されているのだ。日本では、こうした裏事情は師匠から弟子にじわじわと伝わっていく(暗黙知化されている)場合が多いのではないか?そういう意味で、僕にとっては目から鱗である。

 この授業以外にも(この授業で知ったことだが)グラントデータベースを開発して(学内向けに公開して)いたり、グラント専門の事務員がいて申請書の添削をしてくれたりと、大学全体が研究資金獲得のために万全の態勢を整えていることが分かった。この授業を聴講出来ただけでも、アメリカに来たかいがあったと思っている。(今日は15分しか聞けなかったが。)僕は読んでいないが次の本が教科書となっている。