2009年9月27日日曜日

英単語20,000

 先日、アルゴン国立研究所で開かれたポスドクシンポジウムへの道中、中国人大学院生からアメリカの大学院入試の話を聞いた。中国から直接アメリカの大学院へ入ってくる人たちは、GRE(大学院のセンター試験に相当する)国語(英語)でも良い点を取るらしい。話を聞いてみると、中国にはGRE受験のための予備校があるそうだ。そこでは、英単語を2万語暗記させるという。きちんと暗記するのは5千語で、後の1万5千語は属性(動物、乗り物、食べ物など)を暗記すればよいのだそうだが、これは圧倒的な差である。もちろん他にも論述など様々な練習があるだろうが、かねてから、ボキャブラリーが不足を痛感していたので、印象に残った。

 僕も修士1回生の時、アメリカの大学院に入り直そうとして、TOEFLとGREを受験した記憶がある。国語は、激しくできなかった。僕の努力が足りなかったかもしれないが、アメリカ大学院留学のサイトを見ても、国語はまともな点数が取れないと書いてある。しかし僕が働いている研究室の外国人大学院生は、すべて中国人である。少なくとも彼らの入学当初英語レベルくらいはないと、アメリカではポスドクとしてすら生き残るのは難しそうだ。(他にも不足なものがたくさんあるかもしれないが。)

 僕は(ここに来る前iBT100点ぐらい)、NHKラジオの実践ビジネス英語をインターネットで聞き、英語の本を読むようにしている。しかし、研究室のネイティブ同士の会話には知らない単語が良く出てくるし、岩波新書レベルの本でも単語の意味を文脈から推測するために読むのが激しく遅く、知らない単語が多すぎて意味が取れないこともある。そこで、本当に2万語を目標にボキャブラリービルディングをしたい。インターネットで調べた限り、アメリカ人が使うGRE用単語帳は合わせて5千語くらいである。一方、ネットで公開されている日本人向け単語帳(JACET 8000SVL12000など)は重複を除くと1万6千語くらいだ。これとGREの間にSATの単語帳、5千語があるとおもわれる。この3つから重複を除くと2万語くらいか?(彼らは新たに2万語覚えるのかもしれないが。)

 実際の学習は、紙の上ではなく、パソコン上で行いたい。世の中には、正答率と忘却曲線にもとづいて単語帳を管理してくれるソフトウエアや、単語帳から三択問題や書き取り、ディクテーションを出題してくれるソフトウエアがたくさんある。しかし、正答率と忘却曲線にもとづいて単語帳から三択や書き取り、ディクテーションを出題してくれるソフトウエアは、僕の知る限りP-Studyだけである。任意のテキストファイルやウェッブページから自動的に単語帳を作ることができるし、任意のPDIC辞書を使って各々の単語に自動的に意味をつけることができる。

見たことや聞いたこと、体験したことを喜々として、語るのは、恥ずかしくなってきた。京都にいたころと同じような生活になったので、平常心を取り戻したからだろう。喜々としてでなくても、自分の行動や思考の「成果」を文章化して蓄積し、公開してフィードバックを受けることで、行動や思考をより建設的、生産的なものにすることができる。研究と同じである。

2009年9月6日日曜日

ロバート・アラートン公園


 ストレスが溜まっていたので、ロバート・アラートン公園に行ってきた。新学期が始まって、人口密度が急上昇したためだろうか。学生時代は、ストレスがたまると北山や比良山系をハイキングしていたのだが、この辺りは山がない。しかし、車で半日で行けるところに、キャンパスより大きな公園がいくつかあるので、代替品にしようと考えた。ロバート・アラートン公園は大学の持ち物だ。日本語でググると、映画ジュラシックパークのロケ(ハワイ・カウアイ島)がヒットするが、同一人物だそうだ。シカゴの銀行家・実業家で、ユニオン・ストック・ヤードの創立者の息子らしい。

 朝9時、スーパー(County Market)でサンドイッチを買ってから、72号線で30分程度。時速110キロで走るのもストレス解消になる。ビジターセンターで地図をもらってから、庭園を端まで歩く。Sunken Gardenで結婚式をやっていたので、芝生を回って遊歩道に入る。1周1~4キロの遊歩道が5本整備されていて、要所要所に色分けされた標識が立っている。僕は、黄色、茶色、紫をつないで、8キロぐらいの周回路を歩いた。映画スタンドバイミーに出てくるような、森(というか林)である。京都の山と同じ匂いがする。Sagamon川沿いを端まで歩き、回り道をしてからSun Singerという銅像の前に出ると、正午だった。ロバート・アラートンがカールミルス(Carl Milles)という芸術家に、スウェーデン・ストックホルムにある銅像のミニチュアを注文したところ、巨大な新作が届いたらしい(笑)。直径100メートルくらいの円形の広場には、僕一人だった。台座に座ってサンドイッチを食べる。途中で、正面から車とバギーがやってきて少しがっかりする。芝生に寝転んでみたが、小雨が降ってきたので、森の中に逃げ込む。遊歩道をひたすら歩く、ヒルがいそうな沼があったり、The Death of the Last Centaurという銅像があったり。午前中に周った庭園に出る。結婚式をやっていたカップルがまだ写真を撮っている。部屋に着いたのは、午後2時だった。

2009年5月2日土曜日

ラムディスク

 YF氏が新しいノートパソコンを買うというので、知ったかぶりしていて、昔メモリーの有効利用法を調べたことを思い出した。ノートパソコンは、普通、4GBまでメモリーを積むことが出来る。しかし、32bitのWindowsが利用出来るのは、約3GBである。残りの約1GB(OS管理外領域)は、無駄になる。そこで、この約1GBを仮想的なディスク(ラムディスク)として利用するフリーソフト(Gavotte Ramdisk)をインストールして見た。

 僕のノートパソコン(レノボThinkPad X61, 32bit Windows XP)には以下の方法でインストール出来た。

zip書庫をプログラムファイルを置くのに適当な場所に展開する。
②展開されたフォルダ内のram4g.regというファイルをダブルクリックする。(レジストリに情報が追加される。)
③ramdisk.exeを起動し、デフォルトの設定のまま、"Install Ramdisk"ボタンを押す。(ディスクサイズが16MBに設定されているが、実際にはOS管理外領域に収まる最大のサイズで作成される。)

 Rドライブとして959MBのラムディスク(正確には、"fixed media")が作成されていた。タスクマネージャーの利用可能な物理メモリは、ラムディスク作製の前後でほとんど変わらなかった。一度作成すると、再びramdisk.exeを立ち上げて"Remove Ramdisk"しない限り、Windowsを起動するごとに自動的に作成される。

 折角ラムディスクを作ったので、キャッシュを置いてみた。VistaにはReady BoostというUSBメモリなどをキャッシュとして利用するソフトが付いているが、XPには付いていない。そこでeBoostr 3(Laptop Edition)というソフトを購入した。ラムディスクと、手持ちの4GB microSDHC(+アダプタ)にキャッシュを構築しところ、ベンチマークソフト(HDBench)でハードディスクのアクセス速度が、読み込み20%、書き込み35%、コピー100%向上した。ちなみにeBoostrについているスピード測定を使うともっとずっと良い数字が出る。また、ハードディスクは5400rpm。

 ハードディスクは大して速くならなかったが、優先アプリケーションにOneNoteを登録すると、2回目から数秒で起動するようになった。また、パワーセーブモードを有効にすると、電源をつないでいるとき通常通りハードディスクとキャッシュ両方にアクセスするが、電源を抜くと自動的にハードディスクにアクセスしなくなる。(キャッシュの再構築もしなくなるらしい。)その結果、バッテリーの持ちが目に見えてよくなった。Windowsのスタンバイ、回復を繰り返しても、eBoostrは正常に動き続けた。但し、再起動すると、ラムディスクが登録デバイスのリストから消えてしまう。

2009年4月7日火曜日

授業

 授業に35分遅刻する。僕が聴講している唯一の授業である。大学院生向けのグラント申請の書き方を教える50分週2回の講義(正規の受講者は他にチュートリアルもあるようだ)で、ポスドクや助教、外部の研究者も出席している。学術研究の方法や倫理を扱うのではなく、現実の世界で政府系機関から資金を調達するにはどうすればよいかを赤裸々に語ってくれる。たとえば、某機関では審査員は数十名いるがその内2人しか申請書を最後まで読まない。残りの審査員は1ページの要約だけを読んで投票数するので、そこに入魂しろだとか。某機関へ申請する研究テーマは、企業向け補助金の募集テーマ一覧中から選べだとか。審査員リストに載っている研究者とその友人の論文を参考文献に入れろだとか。裏事情が公開(形式知化)されているのだ。日本では、こうした裏事情は師匠から弟子にじわじわと伝わっていく(暗黙知化されている)場合が多いのではないか?そういう意味で、僕にとっては目から鱗である。

 この授業以外にも(この授業で知ったことだが)グラントデータベースを開発して(学内向けに公開して)いたり、グラント専門の事務員がいて申請書の添削をしてくれたりと、大学全体が研究資金獲得のために万全の態勢を整えていることが分かった。この授業を聴講出来ただけでも、アメリカに来たかいがあったと思っている。(今日は15分しか聞けなかったが。)僕は読んでいないが次の本が教科書となっている。

2009年4月5日日曜日

中古パトカー故障

 1月に購入した中古パトカーは、受け取った翌日氷点下10度くらいの中でエンジンをかけようとしてバッテーリが上がり、交換したあとは、2ヶ月半の間快調だった。しかし、先週末リコールでディーラーに行った際、駐車場の入口でエンジンが止まってしまった。オルタネーターの故障だという。オルタネーターとは、発電機で、車の全ての電力を供給し、バッテリーを充電しているらしい(KB氏によると、車が動かなくなったとき誰もがきっと口にするが、誰も意味を知らず、修理代が高いものだそうだ)。しかし整備記録によると、昨年12月に交換されたばかりである。しかも、2006年に初めて故障してから毎年交換されている。特に昨年は、交換してもチャージランプが消えなかったそうだ(だから無視して乗っていた)。何か根本的な原因があるはずだ。今後数か月の周期でアルタネーターを交換し続けるのはいやなので、その原因となっている不具合を修理してしまいたい。Googleってみると、オルタネーターの故障の3大原因は、③ダイオード死亡
だそうだ。①のブラシは徐々にすり減っていくもので、10万キロくらいが交換の目安らしいので、違うだろう。②のベアリングは、エンジンルームから高音のぎゃーんとかガァーいうような連続音が聞こえるなどの予兆があるらしいが、少なくとも気付かなかった。③のダイオードとは、整流器のことで、発電された交流電流を直流電流に変換して、車が使えるようにする。当たり前かもしれないが、定格以上の電流が流れると壊れるそうだ。チャージランプがついていたことと考え合わせると、

 漏電しているために、充電電圧が下がってチャージランプが点灯し、ダイオードに過剰な電流が流れてやがて壊れる。

と説明できるのではないか?実際、この車種の配線の問題を指摘している人がいるので、詳しく検査して貰おうと思う。

2009年1月15日木曜日

 7時に目が覚める。昨日、実験で遅くなり、なおかつPCが自動更新・再起動されてしまってアラームが鳴らなかったのが敗因だ。

 このところ、樹脂表面に厚さ数ミクロンの金属膜を形成しようとしている。ボスから、スパッタ法とメッキを当たって見るように言われ、それぞれの技術の専門家を紹介された。スパッタ法でこれだけの厚さの膜を作ると樹脂が焼けてしまうことが分かった。メッキは、あらかじめもっと薄い金属膜を樹脂表面に形成し、その上に電解メッキする方法を専門家から提案して頂いた。そこでまず、手持ちの真空蒸着装置を用いて、樹脂表面に厚さ数百ナノメートルの金属膜を形成し、その上に(諸事情により)無電解メッキを試みた。この実験自体はあまりうまくいかなった。しかし、金属の種類や厚さを変えて真空蒸着を繰り返すうちに、がんばれば真空蒸着だけで厚さ数ミクロンの金属薄膜が形成可能に思われたので、昨日やってみて成功した。但し、高温で長時間運転したために、真空容器の気密シールを損傷してしまった。

 午前中は、明日から始まるプロジェクトの打ち合わせと、現在担当しているプロジェクトのメンバーとの役割分担変更の相談。

 昼休み、車を受け取りに行った。イーベイで落札したシャンペーン市のパトカーだ。フォード・クラウンビクトリアの警察仕様で、アメリカのパトカーの過半数を占める車種だそうだ。パトカーとしての役目を終えると、タクシーとしてリサイクルされるシステムが確立しているらしい。同僚に話したところ、日本車を勧められた。燃費が良くて、故障が少ないからだという。確かに、燃費はトヨタセリカの1.5倍くらいだそうだ。しかし、消費者ガイドによると該当製造年のフォード・クラウンビクトリア(但し、警察しようではない)は比較的故障が少ないこと、ガソリン価格が日本の1/3位であること、衝突試験結果が優秀であること、古き良きアメ車であること、半年ごとに点検修理されてきたこと、途方もなく安いこと、走行距離が9万マイルであることから購入に踏み切った。日本で、走行距離15万キロと言うと廃車にするしかないのかもしれないが、ここではまだまだ現役である。

 バスを乗り継いで市役所に行って、小切手を渡すと、サーティファイド・チェックでなくてはだめだと言われた。金曜日に再度予約を取って帰りかけたが、帰り道に銀行を見つけたので、サーティファイド・チェックを作り、無事支払うことが出来た。帰り道を教えて貰ってから、車を受け取る。学生2人から車をイーベイで買うのはやめろ、試乗してから買えと言われていたが、この車に限ってはお役所が売っているのであえて落札した。元パトカーと言っても、サイレンやパイプバンパー、無線などは外されていて、塗装も白に戻してある。ホイールが一つ錆びている以外は、外見上の欠陥は見当たらなかった。内装はきれいだ。エンジンはスムーズにかかる。バッテリーとエンジンオイルの残量が少ない。

 生まれて初めての運転だが、辺りは雪が積もっている。まとまった雪が降ったのは、ここに来てからまだ2回目だが、凍結路面は1週間に1回位の頻度で経験している。しかし、タイヤチェーンを付けている車を未だかつて見かけたことがない。タクシーの運転手からオート店スタッフ、ボスに至るまで口をそろえて違法だという。ところが、州法ではタイヤチェーンの規制はないようだ(スタッドレスタイヤは禁止。)。駐車場から出る。教習で習った通りに、車体の半分くらい後進してからハンドルを切ると、後輪が空回りしてしまう。幸い後ろの車まで距離があったので、まっすぐ後退して駐車スペースから出てからおもむろにハンドルを切る。教えてもらった通り、住宅地を通り抜ける。2車線、一方通行が十字路の先で突然両方通行になっていて焦る。曲がるべき道を通り越してしまったので、キャンパス内を迂回する。坂道でスリップし冷や汗をかく。15分後、アパートの駐車場に到着。雪が積もっていて区画線が見えない。

 午後は、メールを書いたり、金属薄膜を研磨したり。真空蒸留装置の真空漏れに気づいた。午後8時ごろ帰宅。

2009年1月5日月曜日

再配達

部屋で勉強する。

再配達を頼んでおいた、郵便物が来なかったので、郵便局に電話で苦情を言う。月曜日までに受け取らないと送り主に返送されてしまうらしい。


仕事始め

朝9時学校へ。あまり人が歩いていない。研究室に誰も来ていなかった。結局、ボスも含めて3人しか来なかった。予定していた実験は、KBが来ないとできないので、ひたすらメッキ関連の資料集めをする。

夜7時頃、学校を出て、スーパーへ買い出しに行った。

2009年1月3日土曜日

『日本の思想』

  丸山真男の岩波講座への論文2報と岩波文化講演会での講演記録2つをまとめたもの。岩波新書。題に取られている論文は、日本における哲学、文学、社会科学、政治など人文科学の歴史を大局的に概観するという、それまでになかった試み。4編を通じて、僕の(ということは、多くの日本人の)日本社会認識を批判的にさらに深いところまで導いてくれるような論点で満ちている。


 中国や韓国に起源をもつ「伝統」文化と主に明治維新以降に取り込まれた入れた欧米文明という論点を例に挙げると、日本人はいつの時代も現在我々がアメリカの文明を取り入れているのと同じ仕方で強力な国外の文明を取り入れて来たと批判している。したがって、中国や韓国から取り入れた文明を日本「本来」の文化として擁護し、欧米文明の影響によって変化することを嘆くのは、理由がないと言っている。


 僕が行った中学高校には三理想と言うものがあり、その一つが「東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物」だった。たかが中学高校のスローガンだと言ってしまえばそれまでだが、僕は愛校心があるので考察すると、「東西文化の融合」が「わが民族理想」なのは、丸山によると日本が東洋・西洋分け隔てなくその時々に強力な文明を文化の中に取り入れて来たためだということになるだろう。それではこの民族が東西文化を融合するのに適任かということについても、本書の中で触れられている。

2009年1月2日金曜日

元旦

 早朝、チャットでAY氏に捕まる。データの統計解析法で悩んでいらっしゃるそうで、僕が知っている限りのコメントをする。専門分野からほど遠い内容だったが、人の研究の役に立てるのが嬉しい。

 午前中は、勉強したり、書類整理したり。4日間教習しながら教官と話していたせいか、英語能力が向上している。

 午後、登校。明日のために、実験装置の真空試験をする。

大晦日

  朝7時、ホステルを出発。地下鉄を乗り継いでユニオンステーションへ。チケットを回収し、搭乗口を探し出す。降りる駅ごとに、車両が決まっているらしく、周りは学生ばかりだ。イリノイターミナルからバスで帰宅。

 部品が届いたので、デスクトップパソコンを組み立てる。マザーボード、CPU、ハードディスクのみ日本から持ってきて、ケースと電源は大学のゴミ捨て場からもらい、モニターやマウス、キーボード、スピーカー、ケーブル類をインターネットで購入した。テレビチューナーボードも買ったので、ケーブルテレビが見られるようになる。

 夜は実家にテレビ電話して、新年の挨拶をする。