2008年10月26日日曜日

ミラノ1時間+半日間の旅

 先月トリノの学会へ参加した際、ミラノを観光した。旅費を節約するために、大阪からミラノまでの航空券を買い、ミラノ‐トリノ間は列車で移動した。乗り継ぎの際に往路1時間、復路半日間ミラノで過ごすことが出来た。


往路


 早朝にマルペンサ空港へ到着した。預けた荷物の回収に1時間位かかる。電車の乗車券を買おうとすると、ミラノ中央駅へは行かないという。仕方がないので、シャトルバスへ乗る。通勤ラッシュに巻き込まれたためか、80分くらいかかった。後で分かったことだが、カドルナという駅に着くので、中央駅に行くには地下鉄へ乗り換えなくてはならないそうだ。


 駅にスーツケースを預け終えた頃には、11時を過ぎていた。12:15分のトリノ行きへ乗らなくてはならなかったが、意を決してドォーモ寺院へ向う。地下鉄で15分程度、地上へ出ると石畳の広場だった。カフェに座って、アコーディオンを聞きながら半日位眺めていたかったが、前方にそびえる王冠のような建物に直行した。目的は屋根である。中に入ると、屋根へは行けないと言われたので、工事中のガレリアを横目で見ながら裏に回る。セキュリティーゲートを通ってから、らせん階段を5階位の高さまでひたすら上り、軒先を5分程度歩くと、"Lonely Plant Italy"の表紙と同じ光景が目に飛び込んできた。棟に腰かけて、呼吸を整え、イタリアに来たことを実感してから、エレベータで降りて、地下鉄に飛び乗る。中央駅でスーツケースを回収し、正しいプラットフォームにたどり着いたのは、12:12であった。


復路


 学会最終日、14:05の列車でトリノ北駅を発つ。15:45にミラノ中央駅へ到着。予約したホテルは「駅前」のはずだが、新宿駅くらいあるため、見つからない。ホテルへ電話し、近くの警官に直接話してもらって、案内を請うたが、その警官が出鱈目なことを言う。結局、駅の周りを3/4周する羽目になった。部屋で一息つくとすでに17:30を過ぎていたので、タクシーでサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かう。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」鑑賞ツアーを18:15に予約しておいたのだ。しかし、急ぎすぎて30分近く前についてしまう。


 「最後の晩餐」の鑑賞は、完全予約制である。僕は、1か月ほど前に予約を試みたが既に満員だったので、予約代行業者に団体予約を依頼したが満員だったので、ガイド付きの鑑賞ツアーに申し込んだ。30分のツアーだが、絵の前に立てるのは15分間である。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の建物は、改修工事によって、ゴシック様式とルネッサンス様式が入り混じっている。内装至っては前半分と後ろ半分がまったく異なる。「最後の晩餐」自体も、通常壁画に使われるフレスコという漆喰に顔料を混ぜる技法ではなく、テンペラという卵の黄身で作った水彩絵の具を用いて描かれている。しかも、「最後の晩餐」が描かれている部屋は、元来修道院の食堂であった。そのため、数年で劣化が始まり、後世の修復家達のによって原形を留めないまでに「修復」された。原画が失われた後は、壁画の一部を切り抜いて食堂と厨房の間の通路が作られ、食堂はやがて馬小屋として使われ、第2次世界大戦の空襲によって半壊して、2年間(?)露天にさらされた。しかし、ピニン・ブランビッラという修復家が20年以上かけて汚れや後世の加筆を取り除き、レオナルド・ダ・ヴィンチの原画が復元された。まとめると、「最後の晩餐」は滅茶苦茶な建物に、滅茶苦茶な技法で描かれ、滅茶苦茶な扱いを受けてきた。現在は、クリーンルームのような環境で保存されている。入口は2重扉で、第1の扉が閉まるとエアーシャワー出て見学者から粉塵を取り除く。第2の扉は、前のグループが出て行くまで開かない。「最後の晩餐」は、今にも消え入りそうであった。フレスコ技法で描かれともに戦火をかいくぐったジョバンニ・ドナート・ディ・モントルファーノの『キリストの磔刑』(1495)と比較すると耐久性の違いが歴然としている。僕には普通の絵に見えたが、キリストと12使徒をそれぞれ個性をもった「普通の人間」として描いたことは、画期的なことであった。


 ツアーの後、丁度ミサが始まったところだったので、一番後ろに座った。参加者に、世界遺産で神に祈るといった気負いは感じられず、仕事の合間にちょっと町医者へ来たといった雰囲気である。説教を聞き、聖歌を歌い、昆虫網のようなものに小銭を放り込み、聖体を受けると、話が終わらない内に帰って行った。


 タクシーでナヴィリオ運河へ向かう。今ミラノで最も話題の場所らしい。"Lonely Planet Italy"にコラムが載っていたEl Brellinで晩御飯を食べる。旅行者用定食があり、廉価に名物料理が食べられた。アイスクリームを片手に運河沿いを散歩してから、丁度やってきた中央駅行きの路面電車に飛び乗り、熟睡する。


 部屋でシャワーを浴びようとすると、お湯が出なかった。フロントと掛け合うと、満室だという。仕方がないので、一番近い宿へで移動した。料金が安くなったことが不幸中の幸いであった。

2008年10月25日土曜日

ライアン・エアーは安いか?

 もう1か月以上前になるが、トリノの学会に参加した際、ライアン・エアーを利用した。学会終了後、ドイツの研究所を訪問するためにミラノフランクフルト間を往復したのだ。朝日に照らされたアルプス山脈は美しかった。

 ライアン・エアーはイギリスの格安航空会社だ。どのぐらい安いかというと、フランクフルト→ミラノ片道は預ける荷物がなければ、燃料費込で35ユーロ(運賃0ユーロ)であった。素晴らしい価格だが、いざ利用してみると、いくつかの落とし穴にはまったので報告する。

発着時刻

 少なくともミラノ‐フランクフルト間は早朝・深夜しかなかった。僕は早朝便(7・8時代)を利用したが、非人間的な時間に宿を出るか、ライアン・エアーが経営するホテルに泊まり、空港で朝食をとる羽目になった。

場所

 ミラノのオリオ・アル・セリオ空港は、格安航空会社専用で、普通の国際便(笑)が発着するマルペンサ空港へ直行する公共交通手段がないため、両空港間の移動には2時間半程度かかった。但し、市街地からの距離は両空港ともシャトルバスで1時間程度である。フランクフルトのハーン空港は、ライアン・エアー専用で、フランクフルト国際空港が市街地から地下鉄で15分なのに対し、1時間に1本程度のシャトルバスで1時間程度かかる。

手荷物重量制限

 預入荷物が有料(10ユーロ)なのは仕方がないかもしれないが、重量制限が日本‐ヨーロッパ間のエコノミーより5kg少ない15kgである。重量超過分は、1kgごとに15ユーロとられる。僕は、ミラノのホテルへトランクを預けようとしたが、拒否された。ミラノ中央駅と空港の荷物預かり所も当たったがまだ空いておらず、やむなく超過料金を支払ってフランクフルトまで持っていった。

サービス

 僕は気にならなかったが、座席指定がないので、良い席に座りたければ搭乗ゲートで並ばなくてはならない。また、機内食は飲み物も含めて有料である。さらに、離陸までラジオのCMのようなものが機内に放送される。

 以上から移動にある程度の快適さを求めると、シャトルバスやホテル、朝食なども含めた最終的にライアン・エアーに対して支払う金額は、ルフトハンザなどと大して変わらないだろう。それどころか、早起きや空港までの移動時間と労力が高く評価されるような、目的や身分の旅行者にとっては、割高になるのではないか?ライアン・エアーは、機内持ち込みサイズのバックパック1つしか持たず、空港のベンチで夜を明かすこともいとわないような旅行者に限って、利用価値があるのかもしれない。